三鷹市牟礼に、江戸時代から続く吉田農園がある。

東八道に面し、周りは商業施設や住宅街。一見、通り過ぎてしまいそうな正門をくぐり抜けると、畑が姿を見せる。今でこそ、住宅街に囲まれるように佇む農家だが、かつては、このあたり一面は畑だった。

これまで、都市型農家は、国の宅地化政策の流れで、縮小を余儀なくされてきた歴史を持つ。一方で、近年、食の安全保障、地産地消、防災機能等、都市型農園への期待は高まっている。

40年前に他に先駆けて有機農法を始め、完全無農薬法を実現した、吉田農園代表の吉田さんに、吉田農園の過去、現在、未来についてお話しを伺った。

吉田晴彦さん プロフィール
吉田農園代表・ベジタブル&フルーツ ジュニアマイスター
江戸時代から続く、三鷹市牟礼にある吉田農園の代表。
父の代で始めた有機農法を継承、発展させ、オーガニックのレストランや八百屋等、思いを共にするお店と直接的な関係性を築き、美味しく、新鮮な野菜を届けている。
吉田農園を継ぐ前は、インテリアの商社に勤務し、営業に従事し、実地でマーケティングやブランディングの重要性を学んだ。大学では農業経済学を学び、卒業後には、オーストラリアでのワーキングホリデー就労経験を積む。

『吉田農園』についてはこちら


吉田農園は40年前から有機農法で農業をされています。

父の代から有機農法に切り替えました。
当時はまだ有機農法という言葉もないような時代でしたから、有機農法を始めてから軌道に乗せるまで大変だったようです。

よく環境や健康に配慮した、先進的な取り組みをされたように捉えられるのですが、父が有機農法を始めた理由は、父自身の体が弱かったからなんです。
防護服を着ても、農薬を散布する度に倒れてしまう状況で、農業を続けるには農薬を使わないという道しかなかったんですね。

お父さまから吉田さんが農業を継いでから新たに取り組んだことを教えてください。

私たちの取り組みに共感をもって頂いているレストランや八百屋さんと直接契約させて頂く形に切り替えました。
市場を通さないため、市場価格の変動に左右されず、安定的且つ計画的に生産に従事できますし、農作物を使って下さる顔が見え、ニーズがわかるのがとてもいいですね。

近年、有機野菜を求めるニーズは高まっています。但し、美味しいことが前提です。
お客さまがどんな味を求めているのかがコミュニケーションを通してわかるので、それを生産の際に活かすことができます。
所謂、マーケティングやブランディングを農業でも実践しているような感じですね。
学生時代の飲食店でのバイトや、大学卒業後に働いていたインテリアの商社で、価格勝負ではなく、いかにお客さまのニーズにこたえていくのかを学びました。
その経験が活きていますね。

農業をやっている中で一番楽しいこと、充実していると感じることはどのような時ですか。

畑に来られた方が畑を見た時、顔の表情が変わる瞬間があるんです。
その表情の変化を見る時ですかね。
99%の方が畑を見て喜んで頂けます。そんな力が畑にはあるんです。

都市農家が減少しています。
40年前の昭和55年には2,492人いた三鷹市内の就農者数が平成27年には、881人まで減少しており、当時の約35%になっています*。
減少傾向を止めるにはどうすればよいでしょうか。
出所:2015年世界農林業センサス

正直、流れを止めるのは難しいと思います。
残念ですが、この点については悲観的です。都市農家が減っている理由は、そもそもの国の政策が前提にありますから。
高度経済成長期から、都市部の土地は、宅地と商業地が主で、農地は不要という考えが国にはありました。都市部は消費地で、地方は生産地として、効率性を考え、機能を分ければ良いという発想です。税収の面からも、農地よりも宅地の方が良いですから、宅地への転用を進めるわけです。
生産緑地法等ができて、多少、都市農家が守られる動きも出てきましたが、代替わりのタイミングで多額の相続税が発生して、土地を手放さざるを得なくなります。吉田農園も代替わりの度に畑を手放してきました。

都市農園の運営が厳しい中でも、農業に向き合う意義は何でしょうか。

カッコよく言えば、これまで祖先から引き継いてきた「農業」という伝統を継承したいという気持ちです。
あと、やっぱり、畑の魅力をより多くの人に知ってもらいたいということでしょうか。

今後、やってみたいことは何ですか。

学生時代、飲食店でバイトしていたこともあり、「食」にはとても興味があります。吉田農園で収穫した野菜で料理を出すレストランをやってみたいという夢はあります。レストラン経営はそんなに簡単なものではわかっていますが。
また、現在、2名の方に吉田農園を手伝って頂いてますが、将来、彼らの独立をサポートすることをやりたいですね。
農業では土地が変わると、そのまま農法を転用できるというものではないのですが、それでもエッセンスみたいなものは伝えられるかもしれません。


編集後記

江戸時代から三鷹の地で農業を続けてきた吉田農園。
伝統を大切にしつつも、時代に先駆けて有機農法に転換するなど、革新を進めてきた。今、思いを共有する有機野菜を扱うレストランや八百屋さんとの直接的な関係の中で、吉田農園のブランドを育てている。

そんな吉田農園でさえも、多くの都市農家と同様、国の宅地化政策の流れの中で、相続の度に、畑を手放さざるを得ない状況に直面する。都市農家を存続させる方向へ、国の政策転換はあるのか。都市農家は、食料自給、地産地消、環境保全、生物多様性など、様々な観点から必要な存在だ。

なんとか、吉田農園のような都市農家さんが次世代にわたって、続いていって欲しい。

About the Author

山中敦志

Co-Founder

武蔵野市吉祥寺北町在住、一児の父。学生時代にアメリカに留学、市民主体の自治に関心を持つ。 企業で環境・社会関連の業務に従事する傍ら、地域から自然エネルギーの普及を目指す、 NPOむさしの市民エネルギー(むーそーらー)やNPOみたか市民協同発電で地域活動を行う。 市民、市民団体、行政、企業の接点を創出し、社会的課題の解決すべく、MMの立上げに参画する。 武蔵野市のおすすめスポットは市役所隣の市民公園です。週末には市民公園の奥にあるフットサルコートで息子と近所の子供たちとサッカーをしています。

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About the Photographer

上澤進介

Co-Founder

武蔵野市関前在住、二児の父。1976年神奈川県川崎市生まれ。栃木県鹿沼市育ち。多摩美術大学を卒業後、建築設計事務所、広告制作会社を経てWeb制作会社を起業。子育てのために武蔵野市へ転居。会社も武蔵野市に移転して職住近接を実現。地域活動に関心をもち2017年2月から武蔵野市「地域をつなぐコーディネーター」の一期生としてコミュニティ活動に関わる方々と学びを深めている。 武蔵野市のおすすめスポットは三鷹の堀合遊歩道から中央公園へ続くグリーンパーク緑地です。子供たちと遊びながら中央公園へ向かうのが楽しいです。