村井寿夫さん プロファイル
造園業に従事する傍ら、市民まちづくり会議・むさしので、武蔵野市内の外環道路(地上部街路)の問題に長きに携わる。また、クリーンセンターの建て替えや市の長期計画調整計画の策定など、自治体行政にも参画。地元のけやきコミセンでは、「けやき茶社」でサイフォン・コーヒーを市民に淹れる一面も。武蔵野歴は約60年。大野田地区のジャンボリーでは委員長を務め、青少年の育成にも力を注いでいる。
終わらない外環道路の問題
MM 山中: 様々な活動をされていますが、具体的にどのようなことをされていますか?
村井 :まず、市民まちづくり会議・むさしのでの活動ですね。
市民まちづくり会議・むさしので、私が長年活動しているのが、武蔵野市内の外環道路に関する問題です。この問題は、慢性的渋滞を解消するために、東京の周りを取り囲んでいる、中央道、関越道など、主要な高速道路間をリング状に結ぶ道路建設に対するものであり、武蔵野市、三鷹市もこの計画により、大きな影響を受けます。練馬区の関越道から、杉並区、武蔵野市、三鷹市、調布市、狛江市を通って世田谷区の東名高速道路まで、延長16kmを南北方向に通すというものです。本線は地下になったものの、地上部に同じ規模の都市計画道路計画が残っているため、「住宅街の分断や周辺住民の住環境や環境に与える影響が大きく、市や市民の建設に対する反対運動が継続しています。国や東京都は影響がある市民から意見を聞く会議を開いていますが、2009年に始まった「話し合いの会」は、2015年に中断しました。その後これまで33回、中間まとめの市民による編集会議(作業部会)が開催されています。私は、ここ10年、市民まちづくり会議・むさしのから会議の進行役として、編集会議に参加してきましたが、24回の話し合いの会では計画の「廃止」も選択肢に入るなど、長きにわたっての交渉の過程で市民の意向は少しずつですが、国や都にも理解をしてきて頂いている感じがしています。
しかし、道路など市民インフラを整備するには、計画、施行まで数十年という長い時間を要します。さらに計画は周辺住民に様々な影響を与えるため、計画そのものを大きく変更する必要がある場合もあります。今回のケースは、まさにそれにあたる訳ですが、一度計画を立てたら、なかなか計画を変更できない行政の硬直性を実感した経験でしたね
サイフォン・コーヒーで居場所作り
次に取り組んでいるのは、地元のけやきコミセンでのコーヒーサロンの運営です。
「けやき茶社」というもので、毎月第3土曜日午後2~4時でサイフォン・コーヒーを市民の方に提供しています。このコーヒーサロンの特徴は、地元の男性が中心になってコーヒーを淹れている点です。もともと、私も含めて、多くの会社勤めをしている男性は、「仕事、仕事」といって、会社にどっぷりで、地域に顔を出すことはありません。そして、会社を離れ、一人になると居場所がない、自分のやりたいことは…、という方も多い。最近は変わってきているように思いますが。そこで、そのような方に、ひとつのきっかけ、居場所を創りたいという、想いを込めたのが、「けやき茶社」です。ぜひ、働く男性のみならず、様々な方に来て頂きたいですね。一度、気軽に覗いてみてください。
クリーンセンターの建て替えや武蔵野市の長期計画とともに
その他、クリーンセンターの建て替えや武蔵野市の第四期長期計画・調整計画の策定に長く係わってきました 。
2008年に「新武蔵野クリーンセンター施設基本構想」を策定した際に、公募の市民委員として携わって以来、新武蔵野クリーンセンター施設・周辺協議会等で、クリーンセンターの建て替えに係わってきました。
また、市民が主体となって策定された第四期長期計画・調整計画の策定の際には、私も市民委員として策定プロセスに参加しましたが、なんと1年間で作業会議も含め70回以上という、長くタフな会議の中で計画が作られていきました。
まちづくりはカッコいい
MM 山中: ほんとに、長きにわたり、様々な武蔵野市の計画、インフラ、そして、まちづくりに携わってこられたと思いますが、その原点はどこにあるのでしょうか。学生時代やこれまでのお仕事が影響しているのでしょうか?
村井 : 私は、大学を信州で過ごした以外は、ほぼ武蔵野市に住んでいます。生まれも育ちも武蔵野市で、武蔵野市歴で言うと60年を超えますね。こういうと年がばれてしまいますが(笑)
何か明確なきっかけがあったわけではないのですが、「まちづくりはかっこいい」という憧れがどこかにあって、大学は農学系に進みました。信州の大学だったので、オートバイでツーリングやスキーなど、とにかく信州の自然を満喫した学生時代でしたね。
就職は、造園業で、これまで庭園作りからはじまり、公園の設計、さらには、江戸東京たてもの園のような計画から里山作りのような現場に関わるものまで幅広く携わってきました 。
その中で、40歳前後の時に、住民参加型の仕事に携わるようになってからまちづくりにはまっていった感じがしますね。
MM 山中: 市民活動を一言で言うと?
村井 : 私にとって、市民活動は「刺激であり、クリエイティブなもの」です。 会社員生活では出会わないような多様な方々との出会いがあります。そして、こんなことができたらいいな、といった創造性を持ち続けることができる。そんな自由さがあります。
文化財を保全する活動の先に
MM 山中: 今後の展望を教えてください。
村井: 荻窪に実家の古民家がありますが、そこを活用して、文化の発信拠点のようなことができないか、いろいろと夢想しています。
また、ナミュール・ノートルダム修道女会東京修道院(旧赤星鉄馬邸)の保全活動です。あまり知られていないのですが、成蹊大学の近くに、1934年に建てられた住宅を使用している修道院があります。これまで、修道女の養成や研修施設として使われてきましたが、時代とともにその役割が薄れ存続が危ぶまれています。歴史的な建造物としても非常に価値が高いものですので、なんとか市民や行政の力で守っていきたいと考え、保全協議会のような集まりができ、私もそこに参加しています。いろんな方に関心を持ってもらい、武蔵野市らしさを受け継ぐ貴重な文化財を守っていきたいですね 。
編集後記
市民活動は「刺激であり、クリエイティブなもの」という村井さんの言葉がとても印象に残りました。
外環道路の問題から、文化財の保全まで、活動の対象は多岐に渡り、時にタフなものが多いにも関わらず、いつも楽しみながらエネルギッシュに活動される村井さん。その原動力はこの言葉に集約されていると思いました。