世界には実に様々な言語、民族、宗教、文化がある。残念ながら、互いの違いへの理解、共感、受容を持つことができずに、差別・紛争・戦争につながることもある。

異なるバックグランドを持つ人々がお互いのアイデンティティを知り、それを尊重し合うことができたら、より豊かで暮らしやすい社会ができる。昨年、そんな思いで、仲間と「みんな友だちフェスティバル 実行委員会」を立ち上げ、多文化共生をテーマにイベントを開催した、会長の横山耕平さんにお話を伺った。

横山耕平さん プロフィール
みんな友だちフェスティバル 実行委員会 会長

父親の転勤に伴い、小学3回、中学2回、転校を経験。
大学まで、岩国(山口)・東京・大阪・広島・神戸と、言語や文化の異なる都市で育つ。
転校時には、いじめられる経験もしたが、国内にいながらも、多様性、個性の重要性に気づく。大学時代には、応援団にのめり込み、学園祭から、部活の応援まで、応援団一色の学生生活を送る。阪神・淡路大震災の時に卒業。自らもボランティアを経験。その後、商社勤務で国際事業を経験。グローバルな目線を持ちながら、市民レベルで活動する重要性を認識し、今に至る。

みんな友だちフェスティバル(X)

武蔵野での文化的つながりの創造

団体立ち上げの経緯を教えて頂けますか。

グローバル化、インバウンド需要の増加等により、日本でも外国籍を持つ方を見る機会が増えています。在住資格を持つ外国人の数も年々増加しています。武蔵野市でも、外国籍を持つ住民は、3000人程度で推移しており、人口の数パーセントになっている計算になります。

日々、グローバルな情報に触れているにもかかわらず、意外と、私自身、直接、外国籍の住民と話す機会が少ないな、と感じていました。以前、商社で働いていた時は、日常的に海外企業とやりとりをしていましたから、なおのこと、そのように感じたのかもしれません。
コロナがあり、ウクライナでの戦争があり、とグローバルでも様々な局面で分断を垣間見ることが多くなった中、市内でも、住民投票条例を機に、なんとなく、ぎくしゃくする雰囲気というのを感じました。

その時、もっとお互いのことを知ることができる機会や場があったら、みんなハッピーに暮らせるのに、と純粋に思いました。多国籍の方が集まるフェスのような場ができれば、楽しいかもしれない、と漠然と考えたのが発端でした。
 
その思いを関心のありそうな知人や友人と共有したところ、意外と多くの方に賛同頂き、市内外から約10名に集まって頂きました。それが、2022年の8月でした。
 
そこから、何ができるか、どんなことができるかをメンバーと話しがながら、最初に具体化したのが、2022年12月に、市内にある東京YWCA武蔵野センターで実施した、『多文化カフェ』でした。
手作り感が満載でしたが、いろんな国の方や海外に関心のある市民がふらっと寄って頂き、とても好評でした。主催した私たちもとても楽しく、終わる頃には次の企画を考えるようになりました。

地元との絆から生まれるフェス

そこから昨年(2023年11月)のフェスにつながるのですね。

そうですね。正直、どのぐらいの規模感で行うのか、詳細を詰めずにスタートしたんです。スタッフを募ったら、30名程度の方々に集まって頂きました。年齢の幅も大きく、下は中学生から手伝って頂きました。市外からの参加者も多く、日の出町から参加された方もいました。とてもありがたいことです。それが6月のことでした。ここからが大変でした。何も具体化してないところから、イベント開催まで、正味、約5か月の期間でしたから。

どのようなところが大変でしたか。

正直なところ、全部ですかね(笑)なんせ、すべてが始めてなもので。
多文化共生の趣旨を理解してもらいつつ、なるべく地元のお店に出店してもらいたい。
フードがないと、イベントは盛り上がらない。地域的な偏りもなくしたい、ステージもなるべくネイティブの方々に出演してもらいたい、など
イベントの趣旨にこだわりながらも、それを具体化するには、ある程度、優先順位をつけていかないといけないわけです。結局、出展者数は13になったのですが、9月まで、一軒一軒、お店を回って、誘致活動を行っていました。その時は、本当に出店者・出演者がそろうのかドキドキでしたね。

当日はいかがでしたか。

昨年の11/12に開催したのですが、ちょうど、天気がよいシーズンなのでいろんなところでイベントがある時期です。そんな状況だったので、正直、どの程度の方が来場されるのか、当日まで不安でした。例年、天気が良いとはいえ、雨も不安でした。
でも、私の不安はすべて杞憂に終わりました。朝方は少し雨が降ってましたが、本番開始前には上がりました。少し気温は低かったですが…。場所もプレイス前広場でアクセスが良かったことから、目標を500人においていたところが、1500名に上る方にお越し頂きました。

多言語ラップで、会場のお客さんを巻き込む、ライブパフォーマンスや様々な人種の市民、大人も子どもも一体となって歌を歌う会場の雰囲気。「こうゆうのを待っていたんだ」という声や「来年もやってほしい」という声も参加された方やお店の方からたくさん頂きました。
 
当日、50人程度のボランティアスタッフに、サポート頂いたのですが、多くのスタッフがやりきった顔をしていましたね。「こんな素敵なイベントに関わることができて、本当に嬉しいです」と言ってくれたスタッフもいて、涙が出そうでした。

多文化共生の礎:未来へ続く『みんな友だちフェスティバル

すばらしいイベントでしたね。今後も継続されるのでしょうか?また、活動の幅を広げる等、団体の展望があれば教えてください。

私を含め、多くのスタッフが仕事を抱えていますので、なかなか活動の幅を広げるのは難しいと思います。むしろ、このようなイベントを地道に毎年継続することが大事だと思っています。

継続することで、たとえ国籍や言語が違っても、お互いにふれあうことは楽しいんだと体感してもらい、徐々に交流の輪が市内外で広がれば、イベントの趣旨を少しでも実現できると思います。スタートは、多文化共生でしたが、将来的には、障がい者の方・LGBTQ+の方など、多様性の幅を広げた形でフェスを企画していきたいと思います。「みんな友だちフェスティバル」の『みんな』は、このまちに住むすべての人々を包摂できるものだと思っていますから。

もともと、私は、大学で応援団をやっていたこともあり、がんばる人を応援したり、人が集まる場を作るのが好きなんです。だから、フェスの開催は私にとって必然だったのかもしれません。今年もがんばります!

About the Author

山中敦志

Co-Founder

武蔵野市吉祥寺北町在住、一児の父。学生時代にアメリカに留学、市民主体の自治に関心を持つ。 企業で環境・社会関連の業務に従事する傍ら、地域から自然エネルギーの普及を目指す、 NPOむさしの市民エネルギー(むーそーらー)やNPOみたか市民協同発電で地域活動を行う。 市民、市民団体、行政、企業の接点を創出し、社会的課題の解決すべく、MMの立上げに参画する。 武蔵野市のおすすめスポットは市役所隣の市民公園です。週末には市民公園の奥にあるフットサルコートで息子と近所の子供たちとサッカーをしています。

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About the Photographer

上澤進介

Co-Founder

武蔵野市関前在住、二児の父。1976年神奈川県川崎市生まれ。栃木県鹿沼市育ち。多摩美術大学を卒業後、建築設計事務所、広告制作会社を経てWeb制作会社を起業。子育てのために武蔵野市へ転居。会社も武蔵野市に移転して職住近接を実現。地域活動に関心をもち2017年2月から武蔵野市「地域をつなぐコーディネーター」の一期生としてコミュニティ活動に関わる方々と学びを深めている。 武蔵野市のおすすめスポットは三鷹の堀合遊歩道から中央公園へ続くグリーンパーク緑地です。子供たちと遊びながら中央公園へ向かうのが楽しいです。