2011年に地元福島で起きた東日本大震災と原発の問題。
教員として、親として、子どもと向き合う中で、実感した、子どもやマイノリティの権利のこと。

食とエネルギーの地産地消・ごみ問題、子どもやダイバーシティなどの社会課題に、市民活動や議員活動を通して、愚直に取組み続ける、武蔵野市議会議員の西園寺さんにお話しを伺いました。

武蔵野市議会議員 西園寺みきこさん プロフィール
福島県福島市で生まれ。東北大学理学部生物学科卒業。東京農工大学大学院生物システム応用科学科修士。大学では、ゾウリムシの遺伝学を研究。
大学卒業後、製薬会社の研究員として、基礎研究に従事した後、地元の県立高校で教鞭を取る。
結婚を機に、2000年に武蔵野市に転居。子育てが一段落したタイミングで、かねてより問題意識をもっていたごみ問題に取組む「クリーンむさしのを推進する会」にて市民活動をスタート。その後、武蔵野市第四期長期計画調整計画市民会議市民委員等を経て、2011年に武蔵野市議会議員選挙に初当選。以来、当選を重ね、2023年4月の選挙で、4期目当選。その他、NPO法人むさしの市民エネルギーなどの市民団体で、市民と一緒に市民活動を続ける。

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福島出身だと伺いました。武蔵野市の縁を持ったきっかけを教えてください。

私は、それまで、故郷である福島で多くの時間を過ごして、武蔵野市に住み始めたのは、40歳を過ぎてからです。結婚を機に武蔵野市に転居し、第二の人生をスタートさせました。

夫は、中学生の娘と亡妻の母親と3人暮らしでした。そこに、私が加わり、新たに4人家族での生活を始めました。思春期の娘と、認知症が始まっていた姑の面倒をみながら、家族としての関係性を作る。最初の1年間はそこに集中しました。

娘とは、彼女が大学を卒業するまでの限られた時間でしたが、今振り返ると、本当に語りつくせないほどの物語がありました。こんなにも、人と真剣に向き合うことは、私の人生で、これまでもこれからも他にないぐらいの経験でした。娘が大学に合格したときは、本当にうれしくて、娘と涙を流して抱き合って喜んだことを昨日のことのように思い出します。

市民活動を長らくやられている印象がありますが、どのようなきっかけで始められたのですか?

端的に言うと、「ごみ」がきっかけで市民活動を始めました。娘が大学に入ってから、自分の時間が取れるようになったので、自分自身も学びなおしを始めました。今で言う、リスキリングですかね。

もともと、ごみ問題・循環型社会の重要性を感じていて、自分なりに調べてみたいと思っていたところ、東京農工大学大学院の社会人入学制度があることを知り、受験して入学しました。
 
研究室では、資源循環等、生ごみの研究をしました。研究の一環で、自分が住む自治体の事例を調べようと、境南コミセンにいって、ごみ活動を行っている市民活動を調べていました。そんな中で「クリーンむさしの」の活動が目に入ったんです。
 
市内の家の生ごみがどのような種類のもので、どのように出ているのかを調べたいと思っていたところ、クリーンむさしのの協力を得て、20軒程度、ごみをもらえることになったんです。研究室では、集めたごみを分類し、分析、実態を把握。資源をどのように使うかを先行事例への活用を考えた集めた堆肥を農地に還元するようなことも活動としてやっていました。
 
この過程で、市民活動に深くかかわることになったんです。市民が生活の問題を前向きに話し、自らが動くことで状況を変えていこうとする姿勢が、とても新鮮で、おもしろかった。活動には、行政や政治につながる。ちょうどそのころ、家庭ごみの有料化が市政でも論点にあがっていました。クリーンむさしのは、賛成の立場を取ったのですが、結論に至るプロセスで、行政や政治を意識する議論がありました。

市議会議員になろうと思ったきっかけを教えて頂けますか?

2005年ドイツのフライブルグを訪問する環境NGOのスタディツアーに参加しました。前ドイツ首相のメルケルさんが勝った年です。ドイツの選挙運動をみて、市民活動を原点を見た気がしたんです。政治・選挙は市民生活の中にあり、身近な存在でした。

そして、日本でも、討議型政治を謳う民主党による政権交代が実現しました。「市民が中心になり、社会を変えることができる」、そんな気運が世の中に生まれていたタイミングでした。
 
私自身、市民活動を携わる中で、課題解決には市民活動だけでなく、やはり、政治・行政が重要。そう感じていた時でしたら、自らの気持ちの部分と世の中の変化がちょうどかみ合ったタイミングで市議会議員になろうと決意しました。

今年、市議会議員4期目。そして、市民活動も続けられています。今後、取り組みたいことを教えてください。

初当選してから、12年を経た今、当時と社会も大きく変わりました。
それは前に進んだ部分と残念ながらもとに後退してしまった部分があるように思います。
 
子ども・ダイバーシティの権利保障に関しては、まだまだなところはありますが、10年前と比べると、だいぶ問題自体が社会で認知され、制度整備に向けての議論が進んできた感じがします。
 
一方で、原発に関しては、再稼働が容認され、結局、震災前と同じ状況に戻ってしまった。気候変動対策・カーボンニュートラルの実現に向けて、脱化石燃料依存は急務です。しかし、その代替手段は、あくまで、再エネであり、原発回帰は許してはいけないと思います。
 
私ができることは限られているかもしれない。無力感に苛まれることもあります。それでも、市民がアクションを取ることで社会を良い方向に変えていくことができる。ドイツの選挙を見たときに抱いた思いがそこにあります。この民主主義の原点を自らの姿勢を持って、示していきたいと思います。

具体的には、子どもが持つさまざまな個性を環境に依存することなく、発揮できるように、子どもの権利条例をベースに、ヤングケアラーの問題等、子どもやマイノリティが抱える問題に個別に取り組んでいきたい。また、再生可能エネルギー100%を武蔵野市から実現し、原発に依存することなく、カーボンニュートラルな社会に移行することができるということを自治体から示していきたいと思います。
 
私たちができることは次世代に社会を少しでも良い形にして、バトンタッチしていくことで、問題を先送りしてバトンタッチすることではありません。

編集後記

私が、西園寺さんと最初にお会いしたのは、お手伝いする、NPO法人むさしの市民エネルギーの活動でした。その当時は、議員さんとの認識もなく、熱心に、地道に活動される方がいるな、という印象でした。「雄弁に語るが、地道な活動を行わない」、そんな議員が多い中、西園寺さんは対照的な存在だと思う。気候変動の問題、子どもの問題、まだまだ、社会課題は山積している。西園寺さんにはこれまで以上に、前例のない課題に、われわれ市民と一緒に立ち向かっていってほしいと強く感じました。

About the Author

山中敦志

Co-Founder

武蔵野市吉祥寺北町在住、一児の父。学生時代にアメリカに留学、市民主体の自治に関心を持つ。 企業で環境・社会関連の業務に従事する傍ら、地域から自然エネルギーの普及を目指す、 NPOむさしの市民エネルギー(むーそーらー)やNPOみたか市民協同発電で地域活動を行う。 市民、市民団体、行政、企業の接点を創出し、社会的課題の解決すべく、MMの立上げに参画する。 武蔵野市のおすすめスポットは市役所隣の市民公園です。週末には市民公園の奥にあるフットサルコートで息子と近所の子供たちとサッカーをしています。

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About the Photographer

上澤進介

Co-Founder

武蔵野市関前在住、二児の父。1976年神奈川県川崎市生まれ。栃木県鹿沼市育ち。多摩美術大学を卒業後、建築設計事務所、広告制作会社を経てWeb制作会社を起業。子育てのために武蔵野市へ転居。会社も武蔵野市に移転して職住近接を実現。地域活動に関心をもち2017年2月から武蔵野市「地域をつなぐコーディネーター」の一期生としてコミュニティ活動に関わる方々と学びを深めている。 武蔵野市のおすすめスポットは三鷹の堀合遊歩道から中央公園へ続くグリーンパーク緑地です。子供たちと遊びながら中央公園へ向かうのが楽しいです。