JR中央線の武蔵境駅から北へ徒歩約10分、住宅街のなかに突然あらわれる小さな雑木林、武蔵野市立の雑木林公園「境山野緑地(さかいさんやりょくち)」があります。この地域一帯は、明治の文豪である国木田独歩(くにきだ・どっぽ)の作品『武蔵野』と関わりがあるため、公園の南側半分は、 地元では「独歩の森」とも呼ばれ親しまれています。
今回は、境山野緑地の豊かな雑木林(森)を育てることを目的として、保全活動を行っている、武蔵野の森を育てる会代表(以下、育てる会)田中雅文さんに現在の活動に至る経緯、想いを伺いました。
田中 雅文さん プロファイル
シンクタンク等を経て日本女子大学 人間社会学部 教授
武蔵野の森を育てる会 代表
和歌山県出身。大田区で小学校から高校生までの多くを過ごす。
アカデミックと実践の両輪で市民活動と生涯学習というテーマに取り組んでいる。
子育てから雑木林にのめり込む
MM 山中:現在の活動に至る経緯を教えて頂けますか?
育てる会 田中: 武蔵野市に越してくるまで、所沢市に住んでいました。
所沢市には、子供たち(主に小学生)が主体的に活動して成長していくための会として「子供会」があり、それを後押しする大人の会として「子供会育成会」があります。地域単位で、子供の成長を地域の大人が支援する目的で、「子供会育成会」という組織があるのですが、私の子供も当時、小さかったので子供会に入り、私は子供会育成会で活動していました。
それは1990年代でしたが、所沢には多くの雑木林が残っていました。猛禽類のオオタカも生息するほど、豊かな生態系が残っていましたね。子供たちには豊かな雑木林に「ふるさと」を感じてほしいという想いから、地域の子供を雑木林で遊ばせたり、オオタカの棲む雑木林を守るための「おおたかの森トラスト」という市民活動にも子供会として参加していました。最初は、子供たちのためにと思っていましたが、私自身が雑木林の魅力にのめり込んでいきましたね。
オオタカが生息する森が武蔵野に
MM 山中:雑木林の活動の原点がそこにあるのですね。
育てる会 田中: そうですね。その後、しばらくして、1990年代が終わるころに境山野緑地の近隣に引っ越してきました。雑木林があって、すごく気に入っていました。
住んでみてしばらくすると、その雑木林にある隣接する都立武蔵野青年の家が閉鎖されることを知りました。その跡地が民間に売却されることになれば、開発行為によって雑木林の自然環境にも悪影響があるかもしれない、民間に売却となれば、遅かれ早かれマンションになってしまう。そのような懸念を持った近隣住民は、売却に反対していました。
今でも鮮明に覚えていますが、2001年5月のゴールデンウイークの出来事です。研究論文を書く合間に、雑木林を散策していると、小鳥を捕まえたオオタカの幼鳥を見つけたのです。
所沢で雑木林の保全活動をしていたので、ある程度、オオタカの生息地を認識しているつもりでしたが、まさか住宅地の武蔵野にも飛来しているとは思いませんでした。ですが、生息しているとなると、豊かな生態系が残されているということです。やはり、この雑木林は、守らないといけない。そう思い、すぐに市長に手紙を書きました。
市長への手紙から始まった市民活動
MM 山中:そこで、すぐにアクションを起こして、市長に手紙を出したところがすごいですね。
育てる会 田中: 今思うとそうですが、それを受け取った当時の市長もすごかったですよ。
すぐに面談の連絡があって、翌月の6月には、市長との面談が実現して、青年の家跡地を市が取得することが好ましいということで見解が一致したのです。後に「境山野緑地」となる貴重な空間を保護する方向で話がついたのです。
翌2002年には、地域の関係団体が一致団結し、青年の家跡地の取得に関して1万7千名もの署名を集め、議会に請願、採択を得て、市が都から青年の家跡地を購入するに至り、民間への売却はなくなりました。まさに、行政と市民の連携が貴重な自然環境の保護に結実した事例ですね。地域の関係団体の努力のおかげだと思います。市長に私が手紙を書いてからわずか1年でした。
2004年の夏に、市が買い取った青年の家跡地(すでに緑地として使用するという都市計画決定がなされ、「境山野緑地」という名称になっていました)をどのように整備して維持管理していくかを検討する市民ワークショップが開催されました。市民ワークショップの参加メンバーとともに準備会を立上げ、市の協力のもと2005年4月に緑ボランティア団体として武蔵野の森を育てる会を設立しました。その後、相続が発生した隣接地である独歩の森を市が買い取って境山野緑地に併合し、現在の境山野緑地の姿になりました。
研究と市民活動のジレンマ
MM 山中:田中さんのこれまでのキャリアは、どのように市民活動に繋がっていますか?
育てる会 田中: 大学では、社会工学を専攻していました。高校生の時に公害問題が各地で起きており、持続的なまちづくりに関心を持ち、都市計画を学べる社会工学を専攻にしました。ところが、大学に入り、ルソーの『エミール』という本に出会い、教育に傾倒していきました。当時、社会を変えられるのは教育だという感じでしたね。。
しかし、大学院に進んであれこれ人生の方向を模索しているうちに出口が見つからなくなり、修士課程の修了後に就職浪人の生活に入り、結局のところゼミの先輩に拾われて、結局、シンクタンクにお世話になることになりました。シンクタンクでは、地域活性化の一環で進められていた大学誘致の施策に係わり、奇しくも教育行政に携わることに。その後、縁あって文部省(当時)の国立教育研究所(当時)に移り、生涯学習を研究することになりました。このことと、所沢での市民活動の経験が合わさり、現在の大学での研究テーマ(生涯学習とボランティア活動・市民活動・地域づくりとの関係)に広がっていくといった形でしょうか。
但し、所謂アカデミックな世界での研究のように理論を体系化できるほど、市民活動は上手くいきませんね。これまでもシンクタンクで市民活動を見てきていたので、ある程度、わかったつもりでいましたが、自分で運営する当事者になると、目に見えない苦労や理屈道理通りに進まない部分がたくさんあります。これが学術研究と実践活動との間のギャップですね。同時に、研究者としての自分と市民活動者としての自分を統合するのに苦労し、さまざまなにジレンマがありますね。
100年続く森を武蔵野で
MM 山中:育てる会の展望を教えてください。
育てる会 田中: 100年先を見据えて続く雑木林を作って育てていきたいですね。
森林保全というと、木は切らない方が良いといった考えを一般的に持ちがちです。
しかしながら、雑木林は生きていますので、若い木もどんどん育って大きくなります。そうなると、大木化した樹木が林冠(林の最上部)を覆い、鬱蒼とした空間を作り出します。林の内部に光が入らないので地面には草も生えず、成長の遅い木は枯れていきます。そのようにして木の本数は減って大木が間隔を空けて立ち並ぶことになり、もはや雑木林とはいえない状態になります。そこで、雑木林の形と自然環境を維持するためには、一定程度高木化した木を伐採して林を若返らせる必要があります。江戸時代には、薪・炭を得るために、高木化した木を伐採し、生活に活かしていました。このように、雑木林の木を定期的(7年から20年)に燃料として伐採し、切り株から出る萌芽を育てる循環的な方法を「萌芽更新」と言いますが、かつては人と自然が共生するこの方法が普及していました。こうした先人の知恵から学び、今一度、境山野緑地でも現代の都市生活にふさわしい更新方法を開発・定着させ、持続的可能な雑木林(森)を育てていきたいですね。
MM 山中:育てる会の活動が様々なところで評価されていますよね。
育てる会 田中:お蔭さまで、様々なところで評価頂いています。2016年には、日本ユネスコ協会連盟のプロジェクト未来遺産2016「玉川上水・分水網の保全活動プロジェクト」(玉川上水ネット)の対象地の一つとして、独歩の森が位置づけられました。2017年には、第52回東京都公園協会賞優秀賞を受賞致しました。2018年には国連生物多様性10年日本委員会の生物多様性アクション大賞に入賞しました。さらに、NPO法人市民まちづくり会議・むさしのとの共同主催で武蔵野市にも共催としてご協力頂き、シンポジウムを定期的に開催したりして、我々の活動を知ってもらう活動も続けています。
爽やかな気持ちになる
MM 山中:まだ参加したことのない方にメッセージをお願いします。
育てる会 田中: 最初は自然をよくしたいという想いでしたが、今は純粋に活動後の爽やかな気持ちになれることが活動を続ける一番の原動力です。
お子さん連れのご家族、学生、シニアと様々な方に活動に参加頂いていますが、多くの方が同じような思いで参加されているようです。市民活動というとすこしハードルが高くなってしまいがちですが、一度、ふらっと爽やかな気持ちを感じるために境山野緑地に遊びにきてください。お待ちしています。
編集後記
武蔵野の魅力の一つである豊かな緑。その象徴とも言える「境山野緑地」「独歩の森」を守り、育てる田中さん。過去から未来に繋げていく、森づくりの魅力に惹き込まれました。ひとりでも、子どもや家族とでも楽しめる森づくり。新しい週末の過ごし方になるかもしれません。