武蔵野市の西側、玉川上水の北側に位置する関前地区。
かつては関前村と呼ばれ小田原北条氏の家臣であった井口八郎右衛門らが開発を行ったとされています。
そんな関前地区でお父さんの会を始め五中の地域コーディネーターや市の各種委員などをつとめる秋山聡さんに、地域に関わるきっかけやその楽しさなどをうかがいました。
秋山聡さん プロフィール
明治大学文学部を卒業。現在は文筆家として活動。
関前南小のPTA会長を勤めたことを機に、PTA連絡協議会の会長や第五中学校の地域コーディネーターなどを務め、関前南おとうさんの会を立ち上げ、武蔵野市の各種委員を務める。
関前生まれ関前育ち。
様々なことは自然発生する
関前南おとうさんの会を始め、五中の地域コーディネーターや、開かれた学校づくり協議会、社会教育委員、スポーツ推進協議会、関前の青少協や防災会などなど、たくさんの活動をしていますがメインの活動としてはどの活動になるんでしょうか?
武蔵野市の各地域で同じような感じで活動している各世代の人たちがいるんですよ。
それって、同じ世代のPTAの会長仲間なんです。
P連(PTA連絡協議会)で横のつながりが出来たんですよね。
ガッチガチだったPTAの雰囲気もその時に結構変わったんです。みんな仲良くなって。
そうしていくうちに、「この地域の○○やるひといないんだけど、秋山さんお願いできる?」みたいな形で色々なところに顔を出すようになったんです。
そのころ文科省から各地域で学校の活動を、地域の人たちでカバーする「地域コーディネーター」をつくろうという話が来て、当時の校長先生に地域コーディネーターをやらない?みたいに言われて地域コーディネーターになったんですよ。
メインの活動は何か?といわれると、地域コーディネーターがメインといったほうが良のかな?(笑) 便利屋さんなんですけどね。
団体として何かやっているわけでもないんですよ。なので活動というとちょっと違うのかもしれないです。若いお父さんお母さんたちが地域で何かしないと、という気持ちで動いてきたもので、自然発生的にみんな動いているという感じの方が正しいのかもしれないですね。
そうした中で関前南おとうさんの会が出来たりしました。
地域のアベンジャーズ集結
PTAの役員になったきっかけは何だったんでしょう?
PTA会長を選ぶのも各校でかなり違っているんです。
関前南小は2月くらいにいつも決まるんです。他は9月くらいから動いていたり選挙管理委員とかもある学校もあります。
関前南小は武蔵野市で一番小さい学校だから保護者もだいたい面識があるし、次は○○さんやりなよみたいな感じで決まっていくんです。
でも、ぼくが会長になった時はなかなか決まらなかったらしく、互選会が開かれて妻が参加していたんです。そこでもなかなか決まらない。仕事をしていたら妻から電話がかかってきたんです。「うちで仕事してるんだから、会長やりなよ」って。
当時はまったく学校にも行っていなかったし、学校公開でもちょっと陰から覗くぐらいの感じでPTAにも学校にも全然関わっていなかったんです。
そして、2時間後にまた電話かかってきたら「決まったから」って……
そうしたら本当にPTAの会長になっていたんです。
で、やってみたらすっごい割愛しますけど、楽しかったんですよ。(笑)
お子さんが大きくなった今は関前南おとうさんの会として小学校との関わりも多いと思いますが、おとうさんの会はどういった経緯で出来たんでしょうか?
PTAはぼくも含めいい意味でトンチンカンな人たちが集まっていたんですが、アベンジャーズみたいにみんないろいろ才能があったんです。そういうのが楽しかったんですよね。
そうやってPTAの活動などをしていると色々なところと関係性が出来るじゃないですか、仕事仲間でもない。学生時代の友だちでもない。普通にしていたら知り合うことのない人たちとたくさん友だちになったんですよ。
そうしてP連を通じて広い地域での横のつながりが出来てくると、他の学校の情報も入ってくるんですよ。どうやら多くの地域でおやじクラブみたいのがあるって聞いて、何してるのか聞いたら学校で子どもたちのお泊り会してるって!そんな話をPTAで話したりしたら「秋山さん、うちも作ろうよ!」って当時の役員はお母さんたちだったんだけど、そのパパたちが来てくれて、本当に自然発生的に「関前南おとうさんの会」が出来たんです。
やれる人がやれる範囲で
関前は他の地域と違って、地域運動会が残っていたり本格的な花火大会があったりどんど焼きお祭りなどの地域行事がたくさんありますが、秋山さんはどのような形でかかわっているのでしょうか?
ぼくと同じような40~50代の地域でいろいろやっている人たちは、どういう肩書で参加しているのか自分でもわからない人が多そうです。(笑)
肩書というより、地域に住んでいる一員として参加している感じですね。
肩書という意味では、おとうさんの会というのが一番便利かもしれないです。
既存の団体名で参加すると、その団体としての責任も出てきてしまうけれどおとうさんの会だと、受け入れる側もよくわからないけど力仕事の出来そうな人たち、としてすんなり受け入れてくれるというか。(笑)
おとうさんの会が町内会の代わりのようなイメージでしょうか?
武蔵野市は町内会がなくて、その代わりが青少協(青少年問題協議会)なんですよ。
ジャンボリーをやったりお祭りや地域の清掃をやったりしているのが青少協なんです。
ぼくたちの少し上の世代だとPTAをやったらそのまま青少協に入るという流れがあったみたいなんですが、最近ではなり手がいなくなっているという問題があります。地域コミュニティあるあるですけど。
そうした中でおとうさんの会を作る時に「PTAや青少協には入りたくないけれど、地域のことはやりたいという人はたくさんいるよ」ときいて、そうした人たちの受け皿になれたらいいよねと話したりしました。
そのころ、LINEも普及してきて、今までは電話だったものがそうしたツールに移行できたんですよ。「青少協なんですけど、来週清掃があります」と電話がかかってくると、ちょっと構えてしまう。でもLINEで「来週清掃があります。参加できる人は〇時にどこそこに集合」だとその時都合の悪い人はスルーすることもできる。
電話や回覧板が回ってきたら、どうしても「○○しなければならない」って考えがちじゃないですか。もっと緩い感じでいいんです。”やれる人がやれる範囲で”というのが大切で、そうするとやれる人って結構いるんですよ。
八幡様のお祭りにおとうさんの会が参加するようになったのはどんな経緯だったんですか?
おとうさんの会でいろいろお手伝いとかをしていると、上の世代の方たちとも顔なじみになっていくんです。そうした中でおじいちゃんたちから八幡様(延命寺)のお祭りで昔からの的屋さんが来なくなってしまって寂しくなってしまったから、おとうさんの会で何かやらないか?って声がかかって、ポップコーンの機械や鉄板もあるよ。テントもあるよって。
じゃぁやろうかとなったら、テントはカビだらけだったりして、そうしたらおとうさんの会に商店会の人もいて「テント貸せるよ」とか、「クーラーボックスもあるよ」って、でもちょっと古いから壊れていて、そうしたらおとうさんの会の大工さんが直してくれたり、ポップコーンの機械も使っていたら壊れちゃって、それも電気関係のお仕事をしていく方が直してくれたり。そんな感じでまたアベンジャーズみたいにいろんな能力を持っている人たちが助けてくれる。
そうやって集まって何かするのって大人になるとないじゃないですか。
”大人の文化祭”だよねってみんなで話していました。
楽しいですよね。仕事じゃなくそういうのって。そうした楽しさがわかってきている人たちが昔よりも多いのかもしれないです。
地域コミュニティの目的とは?
これからの関前地域の課題はどんなことでしょうか?
引っ越してきた人たちも地域の中に入ってもらわないと、やっぱり地域は活性化していかないんですよ。関前も新しい家がどんどん出来てきているので、どうやってつながっていくか考えないといけないです。
「町内会やPTAは任意じゃないか」みたいにいう人たちもやっぱりいるんです。それもしょうがないですよね。ぼくも最初はそうだったので。でも、地域とのかかわりを1年、2年とやってみるとそういうことじゃないんだなってわかってきます。
特にお父さんたちはそんな感じで入ってくることが多いんですよね。
「もっとシンプルにしたほうが効率あがるんじゃないですか?」とかね。でも地域のコミュニティって効率とかじゃないんですよ。地域コミュニティの目的は効率を上げて得られる何かしらの成果ではなく、地域にいる人たちのコミュニケーションのきっかけを作ることが目的なんですよ。
例えば、学校公開の受付なんて保護者がしなくたっていいんです。業者に頼むとかすれば仕事としてはそれでいいんですよ。でも、保護者たちに受付だからやってねとなれば知らない人たちが隣同士になって「受付とかやることになってまいっちゃいますよね」なんて言い合うことでコミュニケーションがはじまるんです。保護者同士が仲良くなるきっかけってそうしたところだったりするんです。
お祭りだって地域運動会だって、目的は地域の人たちのコミュニケーションなんです。
地域に入る大きなきっかけがPTAしかないのが難しいですね。お子さんのいない世帯はきっかけが少なく感じます。
そうなんですよね。
ネットがその辺うまくカバー出来たらと思うんですよね。LINEなら電話番号を伝えなくても見ることが出来るじゃないですか。そうしたコミュニケーションの形が出てきたのは大きいです。いまはおじいちゃんやおばあちゃんだってスマホでLINEしてますからね。
今は本当に過渡期だといろんなところで話しているんです。スマホをもつようになったのはここ5~6年じゃないですか?PTAや地域のことでみんながスマホを持ったというのはでっかいと思います。
そして、このコロナ禍で圧倒的にそうしたツールを使わざるを得なくなって、地域のおじいちゃんたちがZOOMを出来るようになったんです。今まで何を言っても絶対やらなかったのにコロナ禍によって有無を言わさずにガーッと。
そうした中で、新しく地域に関わるきっかけが何か作れないか模索しています。
老後を楽しむために、今を楽しむ
今後どんなふうにしていきたいとかありますか?
老後ですよ。
え?老後ですか?
老後を着々とね。(笑)
前に何かの委員の時に聞いたお話で、大学の先生が「あなたは、所属しているものはいくつありますか?」って聞くんですよって話していて、精神的な安定というのは所属しているところがいっぱいあるほうが良い。「30とか40ないとダメだ」といっていて、もちろん実際の組織の所属とかだけでなく、家族、お父さん、地域とかそういう細かいのも分けていって、30や40あたりまえで、こっちでなんかあったら、こっちのでもなにかあってとやっているとボケないって!
それは確かになと思ってよく言ってます。
男性ももっと早く地域デビューできていればボケたりしないのかもしれないですね。
そうですよ。いま、40代50代くらいで多少なりとも近所の人とかかわりを持って「こんにちは」と挨拶したり、行事でテントはるときに手伝ったりとか、名前を覚えるまでいかなくてもそれぐらいしておくといいですよね。
定年を迎えてから急に地域に入っていくのも、それはそれで大変ですから。
防災という観点でも、何か災害が起きた時に子どもたちが名前は知らないけど顔は知っているというレベルでもわかる人がいれば、子どもたちも助けを求めたり、少しは安心できるかもしれない。
なので、やれる人がやれる範囲でいい。顔を出すだけでもいいから、みんな知っていると地域としても安心できる。
ぼくの実家は栃木の田舎なんですが、誰か引っ越してくると家から遠い場所でも、どこどこにだれだれが引っ越してきたとかすぐわかる感じだったんですよね。否応なく地域に所属してしまうというか。
この辺も昔はそんな感じだったんですよ。やはり新しい人たちが入ってきて緩やかに変わっていく過渡期としては、コミュニティ2.0!古い(笑) みたいなのがやっぱり出てきているのかなと思います。
地域にいろんな人が参加することで、独居老人だとか8050問題だとか、子ども達の孤立もそうだし、結局昔ながらの日本の田舎のコミュニティってそうしたことを解決してたんですよね、きっとね。それが今の時代になるとめんどくさいという気持ちがそうした利点を上回ってしまった。その上回ってしまったものを外すのが、コミュニティ2.0!(笑)
ネットの力とかですかね。会わなくていいというのは大きいですよ。
やはり、過渡期だなと改めて思います。
行政が地域コーディネーターとか言い出したタイミングと、PTAが今までとちょっとかわってきてお母さんたちだけに任せないお父さんたちが入ってきたタイミングと、お祭りとかがどんどんなくなりだしたタイミングとか、コロナ禍とかも。
どっちに転ぶかわからないけどすごいタイミングで、ナイスタイミングなんじゃないかと思いますね。
最後に、地域デビューしようか悩んでいる若いお父さんにメッセージを
フィードバックは絶対あります。
地域でやったことが仕事に役立つこともあるし、同じような職種だけでなく、色々な人に伝えなければいけないのでコミュニケーションの取り方も学べます。
やってみればそんなに大変じゃないんですよ。さぼってもいいしスキがちょっとあるぐらいでいいんです。仕事じゃないから、適当でいいんですよ。
大人の文化祭をみんなで楽しみましょう。
武蔵野市の各小中学校のお父さんの会(オヤジの会)のWebサイトです。
ご興味をもったお父さん!ぜひ、連絡してみてください。
編集後記
PTAや地域など今までめんどくさそうだなと思っていたことが、少しずつ解きほぐされていくような時間でした。
子どもたちのためにも地域での関係をと思っていましたが、まずは自分が楽しんで参加するのが一番大切だと思いました。
秋山さんのように緩く、参加のハードルをどんどん低くそして壊してくれる先人がいることは、これから地域に入っていく人たちにもとても心強いと思います。武蔵野市の各地にそうしたお父さんやお母さんたちがいる。他の地域のお話も聞いてみたくなりました。