あなたはなぜ働きますか?

社会人1年目のインタビュアーが、むさしの地域にゆかりのある人の「働く」を取材する企画『あの人の”はたらく”に迫る』
インタビュー対象者の人生を辿りながら、ライフステージ毎の仕事、生活、抱いていた感情などについて深掘りしていきます。

記念すべき第一回目は、西東京市生まれ武蔵野市在住の俳優・アーティスト 金子あいさんです。

金子あい(かねこ あい)さん プロフィール
1968年東京生まれ、武蔵野市在住。東京藝術大学美術学部大学院環境造形デザイン修了。
art unit ai+主宰。株式会社イリアでインテリアデザイナーとして勤めたのち俳優・アーティストとなる。
和洋を問わず現代劇から古典まで様々な舞台で活動。圧倒的で鮮やかな語り芝居で古典を蘇らせる。2011年より演出・主演をつとめる『平家物語〜語りと波紋音〜』シリーズを波紋音奏者の永田砂知子と共に全国で公演。2020年からは気鋭のジャズベーシスト須川崇志と組み、新たなシリーズ『平家物語〜語りと弦で聴く〜』を上演し話題を集めている。文楽義太夫の豊竹芳穂太夫と三味線の鶴澤友之助との『語り×浄瑠璃 琵琶法師耳無譚』『語り&アラブ音楽 千一夜物語』『石牟礼道子 六道御前』『おうちで読もう百人一首』『マリヴォー いさかい』等を上演。ウード奏者常味裕司とのデュオでアラブの歌も歌う。主な出演作は『子午線の祀り』(第25回読売演劇大賞最優秀作品賞)『雁作・桜の森の満開の下』日生劇場オペラ『連隊の娘』『アリスのクラシックコンサート2012〜2016』『アラジンと魔法のランプ2018』他。
能を喜多流粟谷明生師に、新内浄瑠璃を鶴賀流第十一代家元鶴賀若狭掾師人間国宝)に、義太夫を豊竹芳穂太夫師に師事。『平家物語』朗読指導にも力を入れている。
3.11後は、チャリティライブ「フクシマを思う」を継続して開催している。
また、むさしの市民エネルギーの理事も務め、自然エネルギーの普及を通じて、東京・武蔵野からサステイナブルな地域の創出を目指す活動にも取組んでいる。

金子あい公式サイト
https://aikaneko.com/

初めまして。本日はよろしくお願いします。

初めまして。金子あいと申します。俳優・アーティストとして、幅広い活動をしています。ライフワークの『平家物語』の語り芝居をはじめとする舞台の企画・演出・出演、東日本大震災から始まったチャリティライブイベント「フクシマを思う」、朗読教室などを行っています。自分を自分でデザインしていく作家活動のような感覚で仕事をしています。

学生時代から初めての「働く」まで

俳優・アーティストとして様々な活動をされていますね。学生時代は、なにかを表現することに取り組んでいたのですか?

父はグラフィックデザイナー、母も美大卒で、両親の影響もあり、小さいころから表現することが好きで、芸術の道に進もうと考えていました。高校では仲間と劇団をつくって活動していました。

藝大に入学し、空間デザインを専攻しました。実は、藝大の入学試験がとても記憶に強く残っていて。小さな巻き貝と、10キロの水粘土が渡されて、粘土で巻き貝と柔らかさを表現する課題でした。まわりの受験生が小さな巻き貝をそのままのサイズで作品を作っていた中、わたしは巻き貝の模様の美しさに打たれてしまい、頭のサイズくらいの貝をつくって夢中で模様をつけていったことを覚えています。

なるほど…おもしろいものを見つけ、ぐっと集中するお人柄がわかるエピソードですね!

面白いと思ったら夢中になりすぎる性格は今も変わっていません。(笑)ただ、藝大の授業自体はあまり夢中にはなれませんでした。大学のデザインの課題よりも、踊りやお芝居をやりたいという気持ちがとても強く、コンテンポラリーダンスに没頭してすごしました。

ただ、卒業後にはインテリアデザイナーとして就職されていますね!どんな理由があったのですか?

役者になりたいと思ったのですが、親は大反対。やっぱり会社員を経験したほうがいいかな、とぼんやりと考えていた時に、先輩にリクルートされ、一社だけ受けた結果、縁あってその会社に入社しました。いま振り返ると、とても恵まれた会社だったなあ、と思います。最初の数年で本当に様々なことを体験させてもらいました。一方、今ではブラックと言われるような長時間の激務に加え、プライベートでは芝居のレッスンも続けていたので、体に負担がかかる働き方をせざるを得ない部分もあり、大変さもありました。

社会人1年目の私としては、たくさんの学びの中にもしんどさがあることに共感を覚えます。この会社には5年ほどいらっしゃったんですね。

はい。多くを学び、充実感もありましたが、自分が関わった建物がお客様の手に渡る時、自分の手を離れてしまうさみしさも感じていました。やはり、私の思いは、作品の中に居つづけたい、芝居がやりたい。そう思って、会社をやめる決断をしました。

ここから、あいさんの役者としての生活がはじまるんですね!

フリーの役者としていろいろな舞台に挑戦していました。そんなある日、大きな公演のオーディションに受かったんです。意気込んでいた矢先、なんと妊娠がわかりました。稽古が始まる前にすべりこみで娘を出産し、なんとか本番に出演することはできました。ただ、ベビーシッター代の負担も大きく、体力的にも厳しく、歯がゆさが残りました。

生活と仕事の間の葛藤を感じます。その後はお子さんを育てながら、どのような生活を送ったのですか?

娘はとても愛おしくて、なにものにも替えがたい存在です。
その反面、家で幼い娘と2人だけで過ごすことに大変さも感じていました。子どもを育てるためのお金も喫緊の課題でした。
売れていない役者は仕事がありませんから(笑)。なんとか働かなければならない、と、3歳で保育園へ預けて、主にデザイン事務所やIT企業で広報誌の仕事をしました。時々役者の仕事をしながらも、子育てができる環境に軸足を置きました。生活のために仕事をしなければならない、でも、母親として子どもを自分の手で育てなければいけない。役者としての自分も表現したい。揺れ動き、生活へのとまどいは常にありました。結局、一番やりたい芝居の仕事はなかなかできませんでした。

ただ、そのIT企業がおもしろい会社で、新しいオフィスに移転する際、私のデザイナーとしての経歴を知る社長が声をかけてくれました。なんと、オフィスのインテリアデザインのコンサルをまるまる私に任せると。建物のデザインを全て担えるのが本当に楽しかったし、若い頃の経験が活かせる、そう思いました。

その後、役者の仕事が徐々に増えてきましたが、小さな子どもを抱えて、他の役者とのスケジュール(だいたい夜に稽古することが多い)に合わせるのはもう本当に大変で、家族や実家の母の手を借りまくりました。何より娘に色々と我慢させてしまったと思います。かなり無理を感じていました。

東日本大震災がもたらしたもの

そんな中で起こったのが、東日本大震災だったんですね。「フクシマを思う」の活動の原体験だと思いますが、当時、どんなことを感じられたのですか?

社会の不安定さへの恐れ、そして、仕事がなくなったことへのものすごい不安です。堅強にみえた社会が一瞬にして崩れてしまい、役者の仕事はなくなりました。二度と人々は芝居を求めないのではないか?そう思いました。

自分の不安が被災者の方の姿と重なり、何かしたいと思って始めたのが吉祥寺チャリティライブイベント「フクシマを思う」です。東京で電気を使う者として、避難所で直接被災者の方の声をきいた者として、責任が自分を突き動かしたのだと思います。

「フクシマを思う」は、私たちが知りたいと思うことを聞く〈講演〉と、震災詩を私が読む〈朗読〉と、一流のミージシャンによる〈演奏〉という三部構成です。アーティスト主催ならではのエンターテイメント溢れる構成が好評で、2025年10月には36回目をむかえ、延べ6,200名にご参加いただき、福島関連の被災者団体へ約200万円を寄付することができました。

アーティストとして「働く」

「フクシマを思う」は、俳優・アーティストのお仕事とはどのように繋がるのですか?

アーティストは「何かがおかしい」と察知して声を上げる存在だと思っています。アーティストは、美しさに敏感です。美しいものには筋が通っている。美しくないものは何かが欠けていたり歪んでいる。原発事故を通じて、社会のあり方に違和感を持った。その感覚を発信し続けたいという思いで活動しています。美しさへの感覚を持ちつづけ、形あるものだけなく社会のあり方についても、気がついたときに「何か変だよ」と発信する存在でいたいです。

そんな存在として活動するいま、自分の「働く」形をどのように捉えていますか?

東日本大震災を機に、仕事がないなら自分で創り出そうと、自分の舞台やイベントを企画し始めました。基本は一人芝居です。これならば自分の都合に合わせられますから(笑)、子育てをしていても融通が利きます。

いまの働き方は、ひとり商店のような感じです。自分が表現したいと思うものに没頭する、自分で企画もするし、収入にもつなげていく。表現自体は感性の部分が多いですが、舞台制作や企画運営の仕事は合理性が必要です。いかにその両面をバランス良く体現していくか、とても難しいですね。体が二つあればと思うこともしばしばです。

いま精力的に取り組んでいるのは、ライフワークである一人語りの『平家物語』です。あえてコンテンポラリーなミュージシャンと組んで作品を作っています。
2011年〜2019年は創作打楽器の波紋音奏者の永田砂知子さんと各地で公演しました。その後、2020年からは国内外で活躍する気鋭のジャズベーシスト須川崇志さんと組み、即興ジャズと原文のビビッドなセッションで「平家物語」の新たな魅力を表現しています。
素晴らしい才能溢れるアーティストと共演できることは大きな喜びでとても刺激的です。『平家物語』に書かれている人間模様は、いまの時代に通じていて、そこがとても面白いです。そして、『平家物語』の物語の〈空間〉を自分の声だけでつくりあげることに底知れない魅力を感じます。演じるごとに表現が深まっていきます。一生やっても飽きないものに出会えて本当に幸せですし、その尽きないおもしろさを他の人に伝えるために、『平家物語』朗読教室にも力を入れています。

最近は、アラビア語で歌を歌っているとも聞きました!

はい、「千一夜物語」がきっかけで、ウード奏者の常味裕司さんとデュオを組んで歌っています。アラビア語は音が面白くて美しく、発音すると体がよろこぶ感覚があります。民族音楽という意味では、これまで学んできた日本の伝統芸能とも通じる部分が多く、新しい世界の扉が開いて、これまた面白くてたまりません。

目の前のものに面白さを見いだし、そしてそれを追い求める。それが私の仕事のあり方であり、生き方だと思います。数年後のプランは特にありません。好きなことをやり続けたい、ただそれだけの思いで、ひたすら走っていきます。


編集後記

人々に、芝居やコンサートを通じて感性的な価値を届ける金子さん。
インタビュー前、その働き方はアーティストとしての才能をもっているがゆえにできることだと予想していました。
しかし、インタビューを通じて、才能を磨きながらも、生計をたてるために本望とは異なる仕事をした経験・仕事と生活の間で葛藤した経験があることを知りました。
それらを経ていま「一生やっても飽きないものに出会えて本当に幸せ」と語る金子さんの仕事には、「俳優・アーティスト」という肩書きだけでは到底語れない、価値やうつくしさがあるように思います。

社会に踏み出した最初の一歩から、自分の理想的な仕事ができることなどほとんどない。置かれた環境のもとで、しんどさと付き合いながら懸命に働き、学びを得ていく。
そのように働いていった先で、金子さんのように、自分が本当に好きだと思える仕事に巡り会えればいいなと感じました。

金子あいさんの今後のスケジュールは公式サイトよりご確認ください

About the Author

谷内田 直歩

神奈川県で生まれ育つも、大学が三鷹市にあったことからむさしの地域と接点をもつ。どこかゆったりとしている雰囲気、ゆるやかな地域のつながりが気に入り、市民ライターになる。現在は埼玉県在住、障がいをもつ人と椎茸をつくる仕事に従事。手づくり料理が大好きで、「次の休みはこれをつくろう」といつも考えている。人との出会いが自分により豊かな人生を与えてくれると思っており、むさしの地域の人にもっと出会っていきたいです!

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About the Photographer

上澤進介

Co-Founder

武蔵野市関前在住、二児の父。1976年神奈川県川崎市生まれ。栃木県鹿沼市育ち。多摩美術大学を卒業後、建築設計事務所、広告制作会社を経てWeb制作会社を起業。子育てのために武蔵野市へ転居。会社も武蔵野市に移転して職住近接を実現。地域活動に関心をもち2017年2月から武蔵野市「地域をつなぐコーディネーター」の一期生としてコミュニティ活動に関わる方々と学びを深めている。 武蔵野市のおすすめスポットは三鷹の堀合遊歩道から中央公園へ続くグリーンパーク緑地です。子供たちと遊びながら中央公園へ向かうのが楽しいです。